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Web連載

出版営業K部長
カレー屋探訪記 7軒目

キレンジャーの末裔/著

2023.10.26

星野書店 近鉄パッセ店に伺ったあとは、無性にカレーが、食べたくなります…。

半年ぶりの名古屋出張です。夕方家路を急ぐ人々をよそに、迷路のような名古屋駅の地下街(ミヤコ地下街)のカレースタンド、タンドゥールさんへ。出張直前にSNSで発見しました!

店の看板

カウンター席だけの店内では、女性が一人で切り盛りしています。カレーメニューはインドカレー一種のみですが、リクエストすれば辛さを調整してくれるとのこと。今回は中辛を頼みました。

メニュー

グレイビーボート(魔法のランプみたいなやつ)に入って提供されるカレーは水を使わず大量の玉ねぎとトマト&スパイスで作られた独特の逸品で他には味わえないカレーかも?これはまた食べたくなります!

カレー
カレー

どこへ言っても地下街が小綺麗になってしまっていて、こちらのような歴史を感じさせるお店が少なくなっているように感じます!次回の出張でも必ず伺うのでいつまでも頑張って欲しい!

お店の外観
タンドゥール
愛知県名古屋市中村区名駅4-9-10 ミヤコ地下街

サイエンスナビゲータ―Ⓡ 桜井進
「世界は数学でできている!」

桜井進/著

2023.11.13

第3回 関孝和と徳川吉宗に認められた天才数学者 建部賢弘

2002年12月6日 π計算世界記録更新1兆2411億7730万桁
円周率の計算において初の1兆桁オーバーの世界記録は、東京大学金田康正チームによって達成されました。東大に納入されたばかり当時世界最速スーパーコンピュータ、日立SR8000の活躍によって樹立された記録です。当時はテレビ、新聞などのメディアでこの話題で持ちきりでした。

以来、日本がπの計算世界記録を更新し続けました。2009年、筑波大学の金田の弟子、高橋大介がスーパーコンピュータ「T2K筑波システム」によって2兆桁。2013年、近藤茂が自宅に設置した自作PCによって12兆桁。その後2人の日本人以外によって世界記録が更新された後、2019年3月14日、Googleエンジニアの岩尾エマはるかが31兆4159億2653万5897 桁(π=3.1415926535897…に合わせた記録)の世界記録を達成。彼女の師は筑波大学の高橋大介です。

まさしくこれらの軌跡はπ計算の伝統といえるものです。π計算の世界記録を支えるのが「計算機大国」日本です。電卓をはじめ日本のスーパーコンピューターは世界を席巻しています。

日本人と算盤(そろばん)
そしてもう一つ世界が認める日本の計算機が算盤(そろばん)です。

日本ではひと昔前のそろばん塾の勢いはなくなってしまいました(ちなみに現在でもそろばん塾は「現代版そろばん塾」として進化しています)が、アメリカや東南アジアなどでsorobanは爆発的ブームになっています。

電子計算機とそろばんはそもそもが日本で発明されたものではありませんが、日本は独自の計算機を作りあげることに成功してきたのです。

なぜ日本人は計算と計算機にこだわり続けたのでしょうか。そのヒントを江戸時代に見つけることができます。

そろばんを使って円周率を計算し、日本の数学の源流を作った数学者がいました。算聖・関孝和(1640ごろ-1708)と、その高弟、建部賢弘(たけべかたひろ、1664-1739)です。

江戸の人々は数学教科書『塵劫記』をテキストにして、数の読み方、そろばんの使い方、度量衡や金銭など実用的計算、そして数学パズルをマスターしていきました。塵劫記』を学んだ中から関孝和のような第一級の数学者も生まれていったのです。

建部賢弘は将軍吉宗のブレイン
建部賢弘は12歳で数学者関孝和の弟子となり、メキメキと頭角を現し、徳川家三代の将軍(家宣、家綱、吉宗)に仕えました。

建部は師関孝和の研究を助け、多くの業績を残しました。中でも関孝和と兄建部賢明との3人で当時の数学の集大成を目論んだ『大成算経』全20巻は、28年かけて完成させた大作です。

西洋数学と隔絶した中で生み出された独創的な考え方には驚かされます。西洋の天文学に深い関心を持つ8代将軍吉宗の命を受けた建部は、天文暦法の顧問の役も果たしました。

日本地図作成では、吉宗の命により建部自ら測量を指揮し『享保日本図』と呼ばれる日本地図を完成させました。また円周率の研究も精力的に行い、41桁まで正確に求め、師である関孝和の記録を超えました。和算史上最初の円周率を求める公式は、建部賢弘によって導かれました。

『算歴雑考』は日本初の三角関数表
我が国初の三角関数表は建部賢弘によって作成され、『算歴雑考』(年紀不明)として出版されました。それを可能にしたのが先に述べた円周率の計算です。

自ら計算した円周率の値を用いて、1度毎に弧の長さと弧と弦の間の距離の値を小数点以下11桁まで計算した数表を作成しました。

現代数学で表すならば、正弦(sinα)、正矢(1−cosα)の1度ごとの値を計算したことになります。建部は1度を1限と呼びました。

地球の公転周期すなわち1年の長さが「三百六十五度二十五分」(365日と4分の1日)だと、その4分の1である1象限が「九十一度の外三十一分少の余数」と端数がでるので、暦のためには「1象の度」を「90限」としたほうがよいと『算歴雑考』の中で提案しています。

現代に生きる江戸の数学スピリット
江戸時代に日本で独自に発展した数学「和算」。

江戸の数学者は「和算家」と呼ばれ、和算は日本中に広まりその中から関孝和、建部賢弘といった一流の和算家が生まれました。

彼らのおかげで大きく発展していった和算ですが、明治時代になって西洋の科学や技術、特に軍事技術を輸入するために明治政府は和算から西洋数学──洋算──への転換を決定します。

和算家たちは洋算の本を日本語に翻訳し、洋算の教科書を作る快挙を成し遂げました。江戸時代に和算家が高みを目指して発展してきたからこそ、西洋数学の価値を見抜くことができたといえます。

そこから日本の算数・数学教科書の歴史が始まり、今日に至ります。かくして百年以上かけて作られてきたわが国の算数・数学の教科書は、世界に誇れるクオリティを持つまでに発展してきました。このことが現在の日本が数学大国であることとπ計算のトップランナーにつながっています。

電源を必要としないそろばんは数十桁という数値計算を可能にします。それも四則演算をはじめ平方根、立方根まで計算できる汎用性を持ち合わせています。

その点では現在の電卓はそろばんの足下にもおよびません。関や建部ら江戸の数学者は、数値計算の限界に挑み続けていたのです。その江戸の数学スピリットこそが現代にまで脈々と受け継がれ、πの計算世界記録に結びついたのではないでしょうか。

日本以外の国の人々(いや現代の日本人でさえ)からすれば、なぜ日本人はπを何兆桁までも計算するのかと疑問に思うかもしれません。関孝和の時代から300年、日本は数学とともに我が国の文明を築いてきました。いまこそ江戸の数学スピリットを多くの日本人が知るときです。

桜井進 “X”(旧ツイッター)
https://twitter.com/sakurai_susumu

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